しぶとい(感染力がきわめて高い)ウイルス

韓国ではまた感染拡大の兆しが見られるようです(クラスターは把握しているようですが)。

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いったん収束したとみられていただけに、新型コロナウイルスのしぶとさ、感染力の高さを再認識させられる事例です。

こうしたなか、国内での緊急事態宣言解除・社会経済活動再開の動きを機に、「科学者らの予測・提言は間違っていたし、政府にこんなに長期にわたる自粛要請をさせ、多数の倒産を引き起こしたことに対し、専門家らは咎めを受けるべきだ」というような声が上がっています。これに対し岩田健太郎氏が反論し、感染拡大予測データに基づく(「8割」という外出削減目標数値を明示してその都度達成度をはかる)医療政策をはじめて実施させ、政府に「言い抜け」を許さない風潮を作ったことを高く評価しています。

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中野剛志氏もこの意見に同調し、かつ、咎められるべきは科学者ではなく、十分な休業保障と接触機会削減とをセットで打ち出すことを怠った政府(および「財政難だから経済が悪化する」と言い立てることにより、財政出動をしぶる政府にお墨付きを与える「経済の専門家」)だ、と主張しています。

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「責任の在り処」という点に限って言えば(根拠となる「自国通貨建ての国債なら踏み倒すことはあり得ない」という「理論」の妥当性を問わなければ)まったくの正論と言えるでしょう。

岩田氏も言うように、「科学者の予測」を用いて「判断」を下すのは、政治です。政策内容そのものについてまで科学者の責任だとするのは、まるで予測データが「特定の政策を誘導するためのデマだ」といわんばかりで不謹慎ですらあります。

もちろん、科学者の提供するデータと政策決定との間にはもっと厚い層での議論が必要でしょう。厚労省も官邸も特定の専門家の「予測データ」(および関連する「目標数値」)におんぶにだっこという状態は望ましいことではありません。

このあたりの問題は、「専門家支配」と哲学者が危惧するように、ドイツでもいろいろ議論されているようです。かなり早い段階(遅くとも4月上旬)から、専門家の予測・提言と、経済を縮小させたくない関係者との間で「押し問答」が繰り広げられていた形跡があります。

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マルクス・ガブリエルに見られるように、ドイツ(あるいはヨーロッパ)では、Imperial Collegeやコッホ研究所の予測データに基づく政策提言・政策判断を「政治的モノカルチャー」だとして、それが自由を抑圧する可能性を批判する風潮が非常に強いのに対し、日本では主に経済の観点から「損害は誰のせいだ? 無責任なデータを振り回す科学者のせいではないか?」というように責任の在り処を一元化する風潮が広まっているのかもしれません。これはそこだけ見ると、議論の質としては「経済的モノカルチャー」とでも言うべきものであり、科学的「予測」と政治的「判断」とのまともな関係を築いていくことをさまたげることが危惧されます。

ウイルスはしぶといのですから、冷静な議論が求められるでしょう。