長期化を見越した対策へ

最近頻繁に引き合いに出される100年前の「スペイン風邪」、沈静化までに3年かかったとのことです。医療の進んだ現在でもワクチンの量産まで1年半かかるとのことであり、これだけでも長期戦を覚悟しなければならないということがわかります。

それに伴い、テレワーク、遠隔学習、非接触ビジネスも長期化を覚悟する必要があるとのことです。伊東乾氏はこうした状況について、「…AIが随所に組み込まれ、少子高齢化、グローバル気候変動など、従来のSDGs17課題もすべて積み残されたままの、「本当の21世紀」が始まっていくことを認識する必要があります。」と述べています。

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一方、鈴木貴博氏は、「冬に感染爆発が起こる」というパンデミックの傾向に基づいて、新型コロナウイルスについてもスペイン風邪と同様の再流行、再々流行を覚悟しなければならないという観点から、コロナ禍の長期化をにらんで社会経済の激動を予測しています。とくに注目すべき点は、経済的打撃の官民格差に代表される社会的分断が、世代間、世帯種別間(子供がいるかいないか、等)、業種間(比較的安定している、またはむしろ収益が上がるかもしれない業種と、旅客業、観光業、飲食業など直撃を受ける業種、等)の分断へと広がっていくことに懸念を示しているところです。

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さしあたりこれらの論点から、長期化を見越した対策の基本的考え方を検討することができるように思います。とりあえず、キーワードは「テレワーク、遠隔学習、非接触ビジネスの長期化」と、「社会的分断の阻止」としておきましょう。

「テレワーク、遠隔学習、非接触ビジネスの長期化」については、伊東氏が指摘するように、こうした状況が「いままで戦後日本で続いてきた無意味な出社、意味なく混雑するラッシュアワーの満員電車や、様々なオフィスの「現地民慣習」」とは根本的に異なるという点に注目しましょう。コロナ後の社会経済は、教育も同様に、いままでとはまったく異なった様相を常態化させるかもしれません。

しかし殊教育に関しては、教員と生徒・学生、生徒・学生同士の対面教育が不可欠なように思われます(それはビジネスにおいても同様でしょう)。遠隔学習のみで本来の教育目的を達成し得るのか、はなはだ疑問ではあります。メディアを活用する通信教育でもスクーリングがあり、遠隔手段にだけ頼るわけにはいかないわけです。教育目的を果たすために不可欠な対面の機会を、どう確保していくか。

二つ目の「社会的分断の阻止」については、とくに「官民」の一時的に生じる「格差」だけでなく、それぞれの「役割の違い」にも注目すべきでしょう。その際、目下起こっているように経済の民間部門が大幅に縮小した際、公的部門が休業補償、所得補償や財政出動を行って下支えするというだけでなく、医療と教育という公的部門の柱の部分を、行政がどう維持していくかという観点からも社会の動向を見ていく必要があります。

いうまでもなく、パンデミックの最前線は医療現場です。前の記事で、医療において経済合理主義が貫徹されるということは、最低限のリスクヘッジすらままならない状態を引き起こすという、内田樹氏の見解を紹介しました。教育にも同様の事態が当てはまるでしょう。もっとも、こちらは危機管理上の観点というよりはむしろ「本来の教育目的」をどう果たしていくかという観点から、現在のような極めて異例の状況下でもいかにして平等な教育機会を確保するかが課題となります。

ここで経済政策、医療、教育に限って見ても、「収入が減少しない官僚と政治家が決める自粛方針で、収入が途絶える民間人が増加している。そういった立場と状況の違いが、先が見えない不透明感を背景に怒りへと変わりはじめています。」(鈴木氏)という意味での官民「格差」にとどまらない、官と民の「役割の違い」に基づく官の側の責務が、まさしくさしあたり顕在化しつつある「立場と状況の違い」そのものからも透けて見えてくるように思います。

医療現場ですでに、「ウイルス感染者一室の一面に、まるでじゅうたんのように敷き詰められたウイルスを、医師やナースが靴底で、院内くまなくデリバリーしていた」(伊東乾氏)という状況が方々で起きているとすれば、それは最もあってはならないことです。防疫・治療の最前線で汚染が進行しているのなら、それだけで医療体制の崩壊を意味するとも思われます。年頭の豪華客船でも厚労省の官吏の方々が感染したとのことですが、防疫に最も長けているはずの専門家がみずから感染する事態は、社会全体としては防疫体制の無政府状態を意味するでしょう。マスクや防護服の不足もそうですが、専門的知見の徹底と防疫の効果的実現、それにそれらを保障する必要物資の生産・流通ルートの確保は、市場メカニズムでは到底追い付かない課題のはずです。

一方、教育においては、場合によっては、「官民の連携」が必要となるのではないでしょうか。子どもたちの学習機会が奪われている現状において、たとえば学習塾の先生方が公私立学校の先生方と共同で、「3密」を極力避けてある種「寺子屋」的な少人数教育の場を地域ごとに(公民館などで)開いて最低限の教育機会を設け、そこに行政が財政支援を行う、というやり方を検討してもよいのではないでしょうか。 

仮にそうしたやり方を検討するにあたっても、また現行の「放課後児童クラブ」活用を継続するにあたっても、感染予防策の徹底が最優先であることは言うまでもありません。先ほどの伊東氏が分かりやすく示している防疫のイロハを、引用させていただきます。 

前提
0 国は前例のないことは苦手、今回は百年来前例のない広域伝染病の市中感染であるから、役場のいうことは基本、そのまま鵜呑みにしても効果は保証されないと知れ。
1 8割削減とは見知らぬ人と一切会わないことと思え。
2 群れたら伝染る、という前提を覚悟せよ。
3 人・モノ・カネのすべてはウイルスまみれと思え。触れたら踏んだら消毒徹底。

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