コロナ・ポピュリズム(1)
哲学者のマルクス・ガブリエルによる新型コロナウイルスに関するインタビュー記事。
内容(抜粋)
現実/実在(Wirklichkeit)とは「そこから逃れることのできないもの」のこと。世界中でドミノ倒しのようにロックダウンが行われたが、その間、政治家はもっぱら専門家の意見に耳を傾けて、コンピュータ・シミュレーションによる感染拡大予測を現実そのものであるかのように受け止め、それに基づいて政策決定を行ってきた(シミュレーションと現実/実在とが溶融し、専門家支配Expertokratieの様相を呈している)。これは「コロナ・ポピュリズム」と称すべきものであり、市民もZoomやSkypeといったvirtual空間でコミュニケーションを図るなかで、コロナvirusの現実性/実在性が日々増していく一方で、(日々の暮らしの)実質的内容(Virtualität)が薄らいできている。
感染症学者が最良の知的良心をもって提供するものはフィクションである(Was die Epidemiologen mit bestem Wissen und Gewissen veranstalten, ist Fiktion)。フィクションだというのは、モデルに基づく計算(Modellrechnung)だということだ。シミュレーション上では、地球がニュートンの絶対空間のように思い浮かべられ、その上で「点」と「点」が「運動し」、「互いにぶつかり合い」、「したがって」、「感染が拡がる」(「点」とは「人間」のことである)。これは予測などというものではなく条件式に過ぎず、その条件を満たせばその通りになるのかもしれないが、そうなるとは限らない(条件が満たされるとは限らないからだ)。
そもそも、「子どもがこのあと庭で何をして遊ぶか」を言い当てることができないように、「人はつねに移動する」とは限らず、「(ガブリエル氏自身のように)自主隔離する人びともいる」。マルクス主義においても行動経済学においてもそうであったが、人間の行動予測というものは頓挫する。だから条件式そのものの信憑性が疑われてしかるべきなのに、現在、専門家のシミュレーションに基づいて、2022年ごろまではコロナウイルスへの警戒を解かず、行動制限、自由の制限が不可避である、などと述べられ、それをもとに政策決定がなされている。
問題は、「ロックダウンは妥当か否か?」ではない。不確かな感染拡大予測モデルに基づいて政策決定を行う「政治的モノカルチャー(politische Monokultur)」が蔓延しているという事態こそが問題だ(それを指摘したところで政策的インプリケーションは何もないが)。
事態はなかなか複雑で厄介だ。人間という「点」が「見えざる自然法則」によって操られているというような、近代初期の科学モデルが息を吹き返したかのようだからだ。その法則を知るのは、「専門家の知恵を借りた政府」だけだ、ということになる。そのようなわけで、認識内容は現実/実在の「反映」ではなくて「作り出されたもの」すなわちフィクションなのだが、それにもかかわらず、これにすがっていれば安心できるという「現実」もある。だからこそロックダウン政策が広範に賛同を得、政府の決定を後付けで正当化してきたのだ(「コロナ・ポピュリズム」)。