長州の政治経済文化(14)

 撫育方(撫育局)(長州藩における撫育制度について : 組織論における革新の視点から (yamaguchi-u.ac.jp))についてクレイグは、「疑いなく、撫育方の貯蓄(buiku savings)によって幕末時代における長州の役割が財政的に可能となった」(p. 50)と評しています。

 これはつまり、撫育方を中心とする長州藩の財政改革が下関戦争から幕長戦争にかけての資金調達を可能にしたということです。

 このことを論証するにあたり、クレイグは第一に、参勤交代制度を軸とする、城下町(国元)の、大消費地である江戸および物資の集積地大坂への従属関係を指摘します(p. 29)。このことから必然的に、城下町の商人は保守的性格を帯びますが(その結果、商業の発展が市民革命につながった西洋社会とは異なり、日本社会は政治の保守性と経済発展とが分離したままとなります――クレイグは当時の中国と比べた場合の日本経済の停滞性を、租税の物納を例に強調します――;p. 34-35)、これに対し、商業の発展とともに「城下町でない商業都市(noncastle town commercial cities)」も登場します。クレイグによればその代表例が「下関」だということになります(p. 31)。

 第二に、この「城下町でない商業都市」の発展と関連する重要な要素として、クレイグは18世紀末から19世紀初頭にかけての地域経済の発展を指摘します。富裕農民による酒、味噌等の生産、農村手工業の発展、地域交易の発展(長州藩の場合、薩摩との貿易が例として挙げられるでしょう)、総じて、地域における商品経済の浸透と地域市場の創出、等がその例として指摘されます(p. 32)。

 第三に、当時の日本経済の停滞性の傍証として、町人道徳における「利益」の独特な性質を指摘します。いわく、商人の得る利益は「個人」のものではなく、商家、「家」のものである、と(p. 38)。これは「カルヴァン主義者の資産管理義務(stewardship)と似ていなくもない」とのことですが、この点の詳細は、和辻哲郎も『日本倫理思想史』で詳述しているような石田梅岩の思想も参照して裏付ける必要があるでしょう。

 くわえて、この点は日本経済の停滞性の傍証としてだけでなく、日本独自の経済発展および独自の資本主義の形成過程とも関連付けることができそうです。すなわち、個人の富ではなく、先祖伝来の財産を保ち殖やしていく責務は、自立した個人および「ブルジョア階級」を中心とする政治的な市民革命よりはむしろ、家族、地域社会を単位とする経済発展につながる思想でしょう。この点、目下(2021年9月28日時点で)話題の自民党総裁選で「日本型資本主義の再興」が争点の一つとなっていることとあわせて検討してみたいところです。

 地域単位の経済発展ということで言えば、天保改革期を一つの頂点とする長州の藩政改革は、徹底した倹約、および撫育方と越荷方による機動的な金融・財政・経済政策によって、藩単位で巨額の財政赤字を克服し、幕末維新事業の資金を捻出した事例として、とくにそのコンパクトなまとまりと結束力とを伴ういわば「地域メタ個体群」という側面から注目すべきでしょう。

 さて、第四に撫育方、越荷方の特徴です。もともと長州藩でも、天災等の緊急時に備えて宝蔵金が蓄えられていましたが、これは統制が緩く、すぐに一般会計に繰り込まれて失敗したとのこと(p.45)。その失敗を根本的に反省し、1762年に創設された撫育金は、その用途が厳しく制限され、藩主の直接管理下に置かれます。武士の困窮を救うことが「撫育(cherish, rear with care)」の原義ですが、それだけでなく、土地開削、港湾整備、さらに商圏拡大事業にも用いられます(p. 46-47)。

 幕末維新事業、とりわけ武器の輸入にも撫育金が運用されたとのことですが、クレイグによれば、維新当時、長州藩が金にして100万両、銀にして7万1600貫目の資金を撫育方に保有し、このうち70万両を皇室に寄進したとされているのは、1883年になってようやく公式記録に登場することから疑問の余地なしとしない、とのことです(p. 48 ※)。とはいえ、撫育金の蓄蔵が長州藩財政の鍵を握っていたのは事実であり、そこから冒頭の結論が導かれるのです。

 なお、第五の論点としてクレイグは、幕藩体制期の長期的な「緩やかなインフレ(gradual inflation)」にも言及しています(p. 49)。これはおもに債務に関して当てはまることですが、赤字財政(deficit financing)を長州藩はきわめて巧妙に活用したとも評されています。現代の日本における、金融緩和によるマイルドなインフレが、実際に功を奏しているのかどうか定かではありませんが、近世の経済統制の時代と現代のようにわずかな因子(パンデミック多国籍企業の浮き沈み等)によって甚大な影響を被る可能性のあるグローバル経済とでは雲泥の差がある(しかし比較の余地は十分にある)ことを念頭に置いておかなければならないでしょう。

※ 参考:144444867.pdf (core.ac.uk)