長州の政治経済文化(15)

 クレイグは天保時代を中心とする藩政改革における薩摩と長州の違いを概略次のようにまとめています。

 いずれも武士の占める割合が高く(前述)、そのため必然的に財政難に陥りやすい構造となっていました。共通点として、いずれにおいても債務帳消しに近い金融政策(?)が打ち出されますが、長州では猛反対にあい軌道修正。

 相違点として、専売制度において薩摩で藩財政収入の主要品目である砂糖生産のために群島でのモノカルチャープランテーション方式がとられたのに対して、長州では、紙、塩、蠟、米(防長四白)はそれほど厳密な専売方式がとられず、むしろ小生産者(農民・商人)への販売権の売却に注力されました。

 背景には風土と生産力の相違がありますが、長州の場合、越荷方において保管された物資を担保とする資金貸付、大阪市場での相場を睨みながらの販売業など、藩独自に事業展開を図る点が特徴的です(Chapter III)。

 販売権の売却を通じての専売廃止は、ある種の規制緩和・民間活力の活用と言えるでしょうか。薩摩の専売制は豊かな生産力を背景にしていましたが、長州の場合そうした背景がなく、専売制による締め付けを緩和し、民間の生産者・流通業者に委ねた方が藩の収入増加にもつながる、という判断をしたものと思われる、このようにクレイグは考えているようです。