【論文紹介】コロナウイルスと連帯・保健制度(5)

4. 危機の不平等性

コロナ危機はだれにもまったく等しくおそいかかるわけではありません。相対的に危険を免れている人々がいる一方で、危険に対しより脆弱な人々がいるのは事実です。

論文(https://nbi.sankt-georgen.de/assets/documents/fagsf_72_maerz-2020.pdf)では、より大きな危険にさらされている(したがって限られた医療資源を優先的に配分する必要のある)人々の特徴として以下を挙げています。

  1. 公共交通機関以外の移動手段を持たない
  2. 特別な衛生管理のない状態で大勢の人々と接する職業についている(店のレジ担当、配送業など)
  3. 十分に診断・治療されないままの基礎疾患を抱えている
  4. 自宅に保存設備(冷蔵庫等)がないため頻繁に生活物資の購入のために外出しなければならない
 
5. 連帯(主義)的自己理解・社会国家理解
最後の章では、新自由主義的緊縮財政の発想が現下のコロナ危機に対応することができず、健全財政の国是に固執することは政府も考えていない(※)との認識から、社会国家・福祉国家の基本理念を確認する作業が行われています。先述の、ドイツの利益とEU全体の利益(そのための負担)の間に起こり得る対立をどう解決していくのか、また、相対的弱者の健康を具体的にどう守るのか、課題は残りますが、こでは基本理念にかかわる重要な部分のみ訳出しておきます。
法治国家・社会国家においては、人口の最も脆弱な部分を保護することが優先されなければなならない。 そこで連帯が重要となる。 しかし、連帯は気分ではなく、むしろ、連帯には、強者を義務付ける政府の措置が必要である。 連帯は、社会と国家が提供する財から最も恩恵を受けた裕福な人々が主要な財政負担を負うことを要求している。
 
激動に人々は動揺し不安を抱えてはいるが、コロナ危機は社会的学習の絶好の機会をもたらす。過去の新自由主義の数十年間において忘れられてきた政治的連帯の選択肢が、再び意識の俎上に上る可能性がある。お互いの世話をし、面倒をみる小規模な生活圏だけではなく(これらの小規模共同体の絆はもちろん重要で生活に不可欠だが)、ドイツおよびより広義にはヨーロッパの市民社会が重要な役割を演じる。国家行動が-EUレベルでも-連帯の組織にとって不可欠である。すべての強力な連帯の背景には、政府の対策が必要である。
 
コロナ危機が私たちに示すのは、私たち現代人は自給自足する存在ではなく、またそうするつもりもないということである。私たちは国家「の中で」暮らしているのではなく、実存的に民主国家に依存している。私たちは、…国家「によって[国家を不可欠の手段として]」暮らしているのである。私たちは第一に、国家が市民的サービス(保健制度など)に投資し、インフラストラクチャーと公共財を提供し、経済政策および労働市場政策を実施し、広範な公共部門の安定的運営のために財政投入を行うことに依存している。私たちは第二に、国家が累進課税を通じて富のピークを削減し、移転を通じて再分配し、低所得層への財政的支援を提供することにより、社会的不平等を抑制することに依存している。私たちは第三に、国家が税金を通じて賢明なインセンティブを設定することに依存している。
 
※ 黒字財政("schwarze Null")を維持すべきとの見方も当初は出されていました。

Coronavirus-Pandemie: Haushalt 2021 mit schwarzer Null | Politik