【論文紹介】コロナウイルスと連帯・保健制度(2)

1. 連帯―連帯とはそもそも何か?(続)

先日も触れましたが、連帯の概念は社会学者のデュルケムが「機械的連帯」と「有機的連帯」とに分類しています(『社会分業論』1902年)。本論文でもこの点が取り上げられています。先述の細菌学の知見から、連帯の概念は、伝染病において顕在化する、現代社会の避けがたい相互依存という意味を背負わされることになりますが、この理解をデュルケム社会学が裏付けるとされています。

デュルケムは、個人の自律(/自立)が求められ実現されることは、必然的にその個人の社会への依存を強めると指摘しています。「個人化と連帯化は対立するように見えて、実際には並行して進む。」このことは、自給自足の前提が近隣共同体の閉鎖的で「顔の見える」社会であるのに対し、匿名・無数の他者への依存を強めて初めて個人が必要物資・サービスを自身で生産する必要がなくなるということを思い浮かべれば明白です。

連帯といえば何か他人への親切心だとか無私の奉仕といった道徳を思い浮かべますが、伝染病対策で求められる連帯に典型的であるように、相互依存ゆえの自他の思慮深い行動がその本質であり、ある意味きわめて冷徹な概念なのです。相互依存関係は事実ですから、事実としての連帯に対応する規範として、連帯義務が生じます(感染防止のための「3密」自粛などがその例となるでしょう)。

そのようなわけで、連帯というのは(「友愛」等とは異なり)情緒的な概念というよりむしろ、民主社会への実質条件をなす政治的概念であることになります。連帯は、個人の社会への、また個人と個人とのつながりを事実として自覚させ、それを維持するための規範を含みます。このつながりを脅かすのがたとえば過度の経済格差であり、連帯主義の立場からは、累進課税は個人を社会につなぎとめておく(孤立させない)ための、つまりいかなる状況においても相互扶助義務を果たさせるための施策でもあることになります。