明治維新の思想(13)

ここまで、市井三郎、和辻哲郎といった哲学研究者の幕末維新論を読んできました。

「明治(維新)150年」が地元ではさかんに喧伝され、関連する展示やイベントが開催されています。一方、哲学者の幕末維新論はあまり注目されることがないのかもしれません。国民国家の自覚といったような理念の部分は、市井、和辻ともに強調するところですが、その一方で、哲学者は地域的差異や「御一新」をめぐる幕府、朝廷、有力諸藩、西南雄藩、といった複数の当事者の確執やかけひき、欧米列強との微妙な関係、さらには、すでに欧米では利用可能となっていた通信手段の欠如により、情報の不足とわずかなタイムラグによって、雄藩の朝廷での主導権の得失や列強との武力行使突入などが引き起こされたというような事態には、十分に注目しない傾向があると言えるかもしれません。

幕末維新をめぐる史実の詳細をいまいちど確認しておく必要があると思われます。

そこで選んだテキストは、芝原拓自の『開国』(1975年)です。簡潔でありながら、折に触れて人心の機微にまで立ち入る歴史記述は、教科書的な説明にとどまらない歴史および歴史研究の魅力を伝えてくれます。

本日は、その中から「ゆらぐ祖法」「幕権をめぐる確執」と題された章のまとめを掲載します。 続きを読む