歴史マニアの「矛盾点」?

ワグネル反乱後のプーチン大統領の発言:

「ロシアが第1次大戦で戦った際、大きな打撃を与え、勝利を盗まれるようにさせた」

「軍隊と人民の背後で発生した陰謀、論争、政治工作は最悪の災難であり、軍隊と国家を破壊し、広大な領土を失わせ、内戦の悲劇につながった」

について分析するという、めずらしい視点の記事。

歴史マニアのプーチン大統領の「恐れ」…内乱の1917年に言及した理由は : 日本•国際 : hankyoreh japan (hani.co.kr)

発言の表面をみただけではプーチンの意図は明確に伝わらない。これまでのプーチンの立場、とくにウクライナ侵攻開始時の「ウクライナは歴史的にはロシアの一部」などの認識をもとに、推測するほかはない。

上記の2つの発言から読み取れることとして、内乱・革命(帝政崩壊)がウクライナを初め、ポーランドバルト三国フィンランドといった旧ロシア領の喪失を許し、ロシアの勝利を逃した、という歴史認識があるのではないか。実際、記事ではこれを「相次ぐ革命と内乱という敵前での分裂がロシアを弱体化させ、最終的に、ブレスト・リトフスク条約という屈辱的な講和条約につながったという認識」とまとめている。

厭戦気分と革命は一体のものだった。まさにプリゴジンも戦争大義に疑問を呈し、「ロシア革命が起きる」と「予言」した。反乱=革命によってロシアは内部から弱体化し、(トロツキーの見通しに反して)ドイツの社会主義革命は起きず、帝政ドイツ強硬派の後ろ盾のもとでのロシアの領土喪失、とりわけウクライナ独立につながった。ロシア革命のこの側面をプーチンは重大視しているのではないか。

(参考)

ブレスト=リトフスク条約 (y-history.net)

ブレスト=リトフスク条約 - Wikipedia

ブレスト・リトフスク条約(ぶれすとりとふすくじょうやく)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

革命そのものへの疑義が、プーチンにはあると思われる。ロシア帝国以来の国家の継続性が、彼の念頭にあるのだろう。この観点からは、即時停戦を唱えたレーニンは裏切者であり、その後のソビエト化によるウクライナの奪還(1921年)はボリシェビキ政権の数少ない功績となろう。また、バルト三国フィンランドの一部を奪還したスターリンは英雄であることになる。

ブレスト=リトフスク条約以前のロシア帝国の版図の回復が、プーチンの目指すところであるとすれば、この100年以上を遡る歴史修正主義はそれだけでもはや尋常ではない。だが、もしその線で首尾一貫させるならば、ボリシェビキ政権の対独単独講和が間違っていたのであり、「英米仏」との対独同盟を継続させるべきだった、ということになりはしないか。「西側の陰謀」「ネオナチ政権撃退」を掲げる論法と、この点はどう整合性が取れるのか。

政治家のことである以上、厳密な意味での整合性は問う必要はないかもしれない。だが少なくとも、政策としての実効性という観点からの首尾一貫性は当然求められる。そもそも、「ウクライナはロシアの一部」「西側の陰謀」「ネオナチ政権撃退」といった、現代の国際法秩序の枠組みだけでなく、歴史の時空そのものをも超越した言葉の一つ一つが、十分納得させる裏付けを欠いている。それにくわえて、これらが全体としてどのような政治的意図を果たそうとしているのかがまったく明らかにならない。そのため、戦争大義自体、雲をつかむようなものとなっているのである。