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全人的教養を目指すゼミ@下関の活動報告です

ご挨拶

はじめまして。管理人です。本ウェブサイトでは、下関市立大学を中心に行われる国際交流について情報を発信します(4/13追記:本サイトは管理人の個人サイトであり、本サイトで提供する情報・意見は大学の公式情報・公式見解ではありません)。立場を問わず、下関を初めとする日本、韓国、中国、オーストラリア、アメリカ、トルコ、ドイツ・ヨーロッパなどのさまざまな地域について情報交換・意見交換を行いたいと考えます。

さて、今日は初回ということもありますので、あいさつを兼ねて、管理人が関心をもつ話題について書いてみたいと思います。日本では旅行好きの人を初め、とても有名な場所ですが、最近の動向があまり詳しく伝えられることがないように見受けられる、ドイツのフランクフルト・アム・マイン市(※)の「ドーム・レーマー・プロジェクト」(Dom-Römer Projekt)についてです。

 ※ポーランド国境の都市フランクフルト・アン・デア・オーダーと区別してこう呼ばれますが、以下ではフランクフルト市とします

 まずは次の動画(プロジェクト公式サイトより)をご覧ください。

Projektfilm | Dom Römer

高層建築の立ち並ぶ、ドイツ・ヨーロッパ経済の中心都市、フランクフルトの中心街で、なにやら大掛かりな建設工事が行われています。

経済の中心都市ですから、この都市でもますます多くなってきている高層建築や現代風建築かと思いきや、大聖堂(ドーム)の周辺で伝統的な建築物がいくつも整備されているのが分かります。実はこれは、とても有名な観光名所「ドーム・レーマー広場」の再開発計画なのです。この再開発、ちょっと日本では考えられないような大胆な発想に基づいて実施されています。

なぜ大胆なのか。これを知るためにはフランクフルト市の比較的最近の歴史を少しだけひもといてみる必要があります。

フランクフルトは第二次世界大戦当時まで、中世以来の街並みを残すドイツでも数少ない都市の一つでした。次のリンク先は大体1930年代当時の様子です。

FRANKFURT.de – Bildansicht

この写真と同じ地点を含む現在の様子と比べると、かつてのフランクフルトの特色がよくわかります。

wallpaperswide.com

いずれの写真にも天蓋のついた教会建築がありますが、これはパウルス教会(Paulskirche)といって、1848年に憲法制定議会(フランクフルト国民議会)が開かれた場所としても有名です。よく見るとかつてのパウルス教会とは違って、今のパウルス教会の天蓋が平べったい形になっているのがわかります。

これは1945年の空襲で屋根が破壊され、戦後修復したためであるようです。続いて空襲間もないころの教会周辺の様子です。

altfrankfurt.com

天蓋がまるごと崩落しており、痛々しいですね。ここから戦後、次のようにずいぶんと簡素な形に修復されて、現在に至っているのです(次のリンク先、左下隅がパウルス教会です) 

www.altfrankfurt.com

で、教会のすぐとなりにある三角屋根の建築物ですが、これは旧市庁舎。そして同じ地点で、市庁舎前の広場から大聖堂を望む角度から見ると、空襲前には次のような景観が見られました(次のリンク先2段目)。

Frankfurt Main: Wiederaufbau/ Rekonstruktion/ alt-neu 

実にドイツらしい、三角屋根の建物群ですね。しかしこれらの建物は戦後こういう状態になります(同じリンク先3段目)。

Frankfurt Main: Wiederaufbau/ Rekonstruktion/ alt-neu

これが大体1970年代初頭の様子です。つまり、大聖堂を望む三角屋根の建物群は空襲で破壊されて、いったんさら地になったのです。しかしここからが(レンガを一個一個積み上げて完璧に復元されたドレスデンのフラウエン教会;参照=美しく甦ったドレスデンのフラウエン教会 [ドイツ] All Aboutにもっとも顕著にみられる)ドイツ人魂?の見せどころです。彼らはこの中世風の複雑な建物を次のように復元してしまうのです(80年代)。

www.trover.com

管理人は2000年代の前半、三年間だけこの街に滞在したのですが、その時点では復元はここまででした。ところが驚くべきことに、これは「序の口」だったのです。2010年代に入ってひさしぶりにフランクフルトを訪問したとき、上のすかんぴんな70年代の景観の左側ににあるいかついコンクリートの建造物(市の技術局庁舎)は健在でした。次は私がいた当時、2000年代前半の様子です。

http://docplayer.org/docs-images/26/7877304/images/2-0.jpg 

これが2010年代に入ると次のようになります(次のリンク先、ちょっと重いですが)。

http://olafcunitz.de/wp-content/uploads/2012/10/altstadt.jpg

要するに、市のコンクリート建造物がなくなっているわけです。70年代前半の建物ですから、築40年程度ですね。そんなに老朽化しているとも思えませんから、この解体には相当大きな政治的力が働いたとみることもできそうです。

実際、このコンクリート建造物を解体した跡地で、冒頭の映像にあるような「古い」街並みの再現プロジェクトが展開されることになります。これが「ドーム・レーマー・プロジェクト」なのです。コンクリートを壊して中世の街並み再現。こういう事例が、日本であるでしょうか。私にはちょっと思い当たりません。そういう意味で、とても大胆なプロジェクトだと、私は思うのです。

このプロジェクト、巨額の財政投入による鳴り物入りの政策なのですが、最終決定に至るまでにはいろいろな経緯があったようです。またの機会に、このプロジェクトを動かした政治的力、とりわけ市民運動の力について、報告したいと思います。

記:管理人(桐原隆弘・教員)