「無血開城の勧め」への反論

8月12日付の朝日新聞の次の記事(有料)が波紋を広げている。

抗戦ウクライナへの称賛、そして続く人間の破壊 寄稿・豊永郁子さん:朝日新聞デジタル (asahi.com)

冒頭(無料部分)には次の文章がある。

ウクライナ戦争に関しては、2月24日のロシアの侵攻当初より釈然としないことが多々あった。むしろロシアのプーチン大統領の行動は独裁者の行動として見ればわかりやすく、わからなかったのがウクライナ側の行動だ。まず侵攻初日にウクライナのゼレンスキー大統領が、一般市民への武器提供を表明し、総動員令によって18歳から60歳までのウクライナ人男性の出国を原則禁止したことに驚いた。武力の一元管理を政府が早くも放棄していると見えたし(もっともウクライナにはこれまでも多くの私兵組織が存在していた)、後者に至っては市民の最も基本的な自由を奪うことを意味する。(強調は引用者)

「独裁者の行動としてみればわかりやすい」プーチンの「侵攻」に、ウクライナ側がどう反応すれば「侵攻された」側として「わかりやすい」ものとなったのか。端的にいえば、非暴力・無抵抗・無血開城なのか。これはさすがにおかしな話だろう。ただちに一般市民に武器供与を行い、総動員令を発することが、侵攻に対抗する「通常の」反応なのかどうか(そしてそのようなことを国連憲章が想定しているのか)はわからないが、少なくとも戦わずして相手に譲ることは(国連憲章を含め)誰も同意しないだろう。

たとえば記事の一節。

冷戦時代、平和主義者たちは、ソ連が攻めてきたら白旗を掲げるのか、と問われたが、まさにこれこそ彼らの平和主義の核心にあった立場なのだろう。本来、この立場は、彼らが旗印とした軍備の否定と同じではない。だが彼らは政府と軍の「敗北」を認める能力をそもそも信用していなかったに違いない。その懸念は、政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億玉砕さえ説いた第2次世界大戦の体験があまりにすさまじかったから理解できる。同じ懸念を今、ウクライナを見て覚えるのだ。(強調は引用者)

つまり、一般国民に犠牲を強いる(場合によっては「人間の盾」すらつくる)軍に信頼がおけないから、軍とともに戦うことをそもそも拒否する。これが本来の平和主義だ、ということなのだろう。ここで少なくともいえるのは、太平洋戦争時の軍部独裁下の日本国民と、自由選挙のもとで元首を選ぶ現在のウクライナ国民とを同列においてはいけない、ということである。

記事には次のような反応もある。表現は激烈で侮蔑的表現や牽強付会も見られるが、それらを度外視して戦史や安全保障の基本事項に絞ってみていくと参考になるところもある。

https://nakagawayatsuhiro.com/?p=2610#more-2610

とくに次の指摘は首肯できる。

現在、戦闘による兵員の死者は、「ロシア兵四万人、ウクライナ兵一万人」と推定できる。ロシアが戦闘を止めロシアに撤兵すれば、兵員間戦闘の犠牲者は瞬時にゼロになる。

侵攻者が、侵攻をやめれば済むことだ。それはまったくそのとおり。

英国議会でチャーチルの演説を引用したなら、英国の対ナチ戦争と同じく、国内での戦争はしてはいけない

との趣旨ともとれる主張に対しては、

チャーチルは「英国内での戦争はしない」とは逆だった。国内戦事態を予想し、老人や女性が主力の第二軍隊「Home Guards 現在の領土防衛隊」を創設し、市街戦の訓練を施していた。

と反論されている。

また、

人々が現に居住する地域で行われる地上戦は、沖縄戦のように、凄惨を極める。…ウクライナでの地上戦を、《ロシアの周辺国への侵攻を止める防波堤である》などの理屈で容認するのは、何かとても非人道的に思える。…(米英のように武器を送ってウクライナに地上戦を続行させているのは)ウクライナに住む人々の人権を無視した行為だ。

といった主張(これは正しい面を含むと思われるが)に対しては、第二次大戦時の東京やドレスデンに見られるように空襲の方がはるかに凄惨であることを指摘したうえで、地上戦限定の理由が次のように説明される。

ウクライナが地上戦に限っているのは、そうしたいからではない。ウクライナの「海軍力ゼロ、空軍力チョボチョボ」が原因である。仮に、ポーランドやドイツがロシアの戦術核兵器の投下に怯えないなら、ポーランドや他の旧・東欧諸国の空軍機(ミグやスホーイ)が供与されており、空中戦闘や空爆に主力を移せて地上戦を縮小できた。何故、両国は、戦車や榴弾砲を送っても航空機を送らないのか。それは、彼らの中立法規(国際法)の解釈からきている。

戦車や榴弾砲は、兵隊を載せず、鉄道や車両に乗せてウクライナに入っており、ただの物品と同じ。この供与方法なら、中立法規に違背しておらず参戦したことにはならない。しかし、航空機はポーランドやドイツの空軍基地を飛び立ち、パイロットが搭乗しているから、それは空軍基地をウクライナに提供したことになり、参戦したと看做される。

中立法規は、海軍基地や空軍基地の提供あるいは陸上部隊の領土内トレパスを中立法規違反としている。具体的には、ポーランドや旧東欧諸国が航空機を提供すると(彼らはドイツの空軍基地から飛び立たせようとした)、「中立法規違反だ!」とロシアが、ポーランドやドイツの空軍基地に戦術核兵器を一発投下するのではないかと杞憂し、航空機の提供を自制した。…

中立法規に違背しないギリギリの線で、英米、欧州諸国はウクライナに軍事支援を行っている。ただしこれは、ウクライナNATO加盟国ではなく(あるいは現状、そうなることを断念しており)西側諸国との同盟国ではない関係上、(集団的)自衛権の面から文字通り「ギリギリ」の線であろう。先日来の記事にも書いている通り、長期化による人命の犠牲と世界経済への影響の面から、「限度」をわきまえておく必要がある。英米、欧州諸国はその限度を、それぞれの立場から見定めようとしている。

反論記事では、国連憲章第二条第四項(「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも、慎まなければならない」)を引用したうえで、これに違背するロシアによる侵略行為が記事において一切糾弾されていないと非難されている。この国連憲章違反は親ロシア派と見られる論者も例外なく指摘する事項であり、これを欠いたまま「ウクライナによる長期戦覚悟の対ロシア防衛は、ウクライナ国民の被害者が増えるので道義的に疑念がある」とゼレンスキー政権を非難するのは、あまりに一方的・一面的な見方であり、誹謗中傷とみられる可能性すらあろう。

冒頭記事への識者の反応をまとめた記事が出ている。

ウクライナに「白旗を掲げろ」とすすめる朝日新聞 | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)

とくに識者の怒りを呼んだのが記事末尾近くの次のくだりだ。

最近よく考えるのは、プラハとパリの運命だ。中世以来つづく2都市は科学、芸術、学問に秀でた美しい都であり、誰もが恋に落ちる。ともに第2次世界大戦の際、ナチスドイツの支配を受けた。プラハプラハ空爆の脅しにより、大統領がドイツへの併合に合意することによって。パリは間近に迫るドイツ軍を前に無防備都市宣言を行い、無血開城することによって。…

両都市は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた。…

さすがにこれには閉口するほかない。「地下活動」(「パルチザン」?)を含むプラハ市民のしたたかな生き残り策に感銘を受けた旨を述べて記事は擱筆されるが、具体的な提案とはいいがたい。

無責任な「無血開城の勧め」ではなく、先に述べた「非同盟国への武器援助の限界」と「人命の犠牲・経済への影響」とをふまえた現実的な提言が求められよう。