ドーム・レーマー・プロジェクトの経緯(1)

こんにちは。前回は、築40年ほどのコンクリート建造物を解体して中世の街並みを再現するという壮大なプロジェクト、ドーム・レーマー・プロジェクトについて紹介しました。

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今日はそのプロジェクト実現に至るまでの経緯について少しふれてみたいと思います。

 フランクフルト市の技術局庁舎Technischesratuausは1974年に完成しました。ブルータリズムという様式だそうです。

Datei:Technischesrathaus-ffm001.jpg – Wikipedia

この建物、写真にあるように大聖堂に隣接しており、様式が全然違うこともあって景観を損ねているようにも見えます。2000年代前半になり、早くも建て替え計画が浮上します。これを覆し、景観の復元計画に向っていくことになるわけです。

2011年までの経緯を時系列でたどると次のようになります(Dom-Römer-Projekt – Wikipedia Projektverlauf | Dom Römer 参照

1994年 技術局庁舎をドイツ銀行の姉妹企業Deutsche Immobilien Leasing (DIL)に売却

2004年 技術局庁舎建て替え計画の公募 石造りの庁舎に商業施設、住宅などを加えた建設計画提出 建て替えか、撤去・再開発かで論争

2005年 市民の意見も踏まえ、建て替え計画を断念 

2006年 60名の市民が参加して景観復元のための計画策定委員会立ち上げ

2007年 市による市庁舎の買戻し 計画策定委員会案の採用決定

2009年  DomRömer GmbH(ドーム・レーマー有限会社)設立 Michael Guntersdorfが社長就任

2010年 技術局解体開始 建設計画のコンペ開始 ヨーロッパ全域から170の建築事務所が応募

2011年 計画の市議会承認 

これだけでもなかなか複雑な経緯を経て、しかし着実に復元計画へと歩みを進めているのが分かります。そもそもなぜ「ブルータリズム」様式の建造物を大聖堂の前に建てたのか。不思議と言えば不思議ですが、それについてはまたあらためて。ともかく、大聖堂周辺地区は戦前の街並みに近い形を目指して再開発されることになります。

ちなみにこの大聖堂(ドーム)では神聖ローマ皇帝戴冠式が行われていました(Coronation of the Holy Roman Emperor - Wikipedia)。「ドーム・レーマー」の「レーマー」(Römer - Wikipedia)というのは旧市庁舎のことなのですが、大聖堂からレーマーへ通じるくだり坂の狭い通りは、かつて「マルクト〔市場という意味〕」と呼ばれ(Datei:Frankfurt Am Main-Braubachstrasse Domstrasse-Bauliche Entwicklung und Ueberlagerung Technisches Rathaus-Ravenstein1862.jpg – Wikipedia)、この地区の再開発がこのたびのプロジェクトの目玉です。ここはかつて戴冠を受けた皇帝がレーマーへ向かう道でもありました。

レーマー(Römer)という名称、神聖ローマ帝国に由来しているようにも見えますが、どうもそうではないようです。大聖堂のすぐそばには古代ローマ時代の遺跡がありますし(Datei:Archaeologischer-Garten-10-2012-Ffm-889.jpg – Wikipedia)、カロリング朝時代にもここは重要な位置を占めていたようですから、ローマと無関係とは思えないのですが。

実際には、「レーマー」という名前は、中世にこの建物の1階でイタリア人が商店を開いていたことに由来すると言われているようです(当時は「イタリア」のことをローマ教皇の居場所「ローマ」で呼称していた)。

Frankfurt am Main: Warum heißt der Römer „Römer“?

記:管理人(桐原隆弘・教員)