平重盛

次の記事で紹介される重盛の清盛に対する諫言(『平家物語』)、朝恩と親の恩との間で板挟み状態となった重盛の率直な心情の吐露が、ひとつのクライマックスであろう。

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「君の御為に奉公の忠節を尽くそうとすれば、山の頂上よりはるかに高い父の恩を、たちまち忘れることになります。親不孝の罪を逃れようと思えば、不忠の逆臣となってしまう」

と重盛が発言する場面である。

ここは、藤原成親と西光法師の平家打倒計画(鹿ケ谷の陰謀)に耳を傾けた咎により、後白河法皇を押し込めようとした清盛を、重盛が説得しようとする場面である。

和辻哲郎は『日本倫理思想史』(岩波文庫、第二巻)において、この場面を「武力に対して人倫の道理が威圧を加える光景」として、その後の日本国民の心に烙[や]きついた、と評している(114頁)。上記記事でも紹介されている、太政大臣の官位とともに全国の荘園にわたる勢力を平家が誇っていたことは朝恩によるものにほかならないが、その際重盛は「普天の下悉く王土にあらずといふことなし」と、土地国有主義の標語まで引き合いに出している。

和辻によると平家物語における重盛諫言の描写は史実の通りではないと思われるが、平家物語の作者が重盛に託した人倫的国家の理想を武士も民衆も嘆美憧憬したという事実にこそ意味があるのだという。