フランシス・フクヤマのリベラル・デモクラシー論

フランシス・フクヤマは3月10日の記事で次のように述べていた。

The spirit of 1989 will live on, thanks to a bunch of brave Ukrainians.

Preparing for Defeat (americanpurpose.com)

「1989年の精神」とは、東欧革命によりリベラリズムとデモクラシーが統治形態として最終的な勝利を収めたとするフクヤマ自身の歴史観のことである。『歴史の終わり』(1992年)のフクヤマはこれをいささか「退屈(boring)」なものとして描き出そうとしていたが、いまや彼は情熱をもって「自由の新生(new birth of freedom)」を支持する。

Francis Fukuyama Predicted the End of History. It’s Back (Again). - The New York Times (nytimes.com)

彼の師サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」テーゼと「歴史の終わり」テーゼとの対決について、フクヤマは「90年代から2000年代初頭までは私が有利であった」が、「9.11以後、ハンチントンが正しいと人々は語るようになった」。しかし「私が負け続けるとは思わない」とも。

Francis Fukuyama Predicted the End of History. It’s Back (Again). - The New York Times (nytimes.com)

その理由としてフクヤマは「リベラル・デモクラシーは特殊な歴史的瞬間における文化によって左右される偶然の副産物ではない」ことを挙げる。一定の形態の正義へと向かう「歴史の弧(arc of history)」があると信じているとも言う。

ハンチントンの重要な論点の一つに(著作サブタイトルにもなっている)「世界秩序の再構築(the remaking of world order)」がある。中核国、構成国、隣接国からなるいくつかの文明圏がそれぞれ相対的に独立して安全保障環境を維持するというビジョンである。この見方では西欧リベラル・デモクラシーはおのずと相対化され、権威主義にも応分の位置が与えられるが、フクヤマの構想する穏健な(moderate)リベラル・デモクラシーは文化、文明の相違を十分に許容するものだろう。

この場合、多様な価値観とそれがもたらす対立を調整する手続きとしてデモクラシーが想定されていると思われる。そうするとロールズハーバーマスの構想にも近くなってくるが、詳細は別途検討したい。

 

(付記)

高玉生元駐ウクライナ大使が述べているように、旧ソ連圏域を自明の影響圏域と見なし、独立後も度重ねて政治的・軍事的に介入してきたロシアはこのたび本格的な帝国復活の試みに着手した。高氏によれば、これによりウクライナはロシアから完全に離反し、西側陣営に帰属しようとしているのだという。これはハンチントンもかつて指摘していたように「西ウクライナ」に限定してのことかもしれないが、イヴァショフ退役上級大将の言うウクライナにとってのロシアの権力システムの魅力」は、ますます失われていると言わざるを得ない。

中国はロシアほどあからさまに軍事中心ではないものの経済中心の覇権追及姿勢を堅持しており、いまだイデオロギーや文化等ソフトパワーでの影響力行使には至っていないが、それでもロシアに比べれば堅実性が際立っている。こうした背景も高元大使の発言につながっているのだろう。もっともメディア報道によれば高氏の発言が中国のSNS上からは次々と消去されているとのことだが(上記の5月10日付記事も近々リンク切れとなることだろう)。

 

(5/17付記)

高玉生元駐ウクライナ大使の発言の全文和訳+解説が出た。

衝撃の「ロシア敗北論」全文和訳…元駐ウクライナ中国大使は何を語ったのか(近藤 大介) | 現代ビジネス | 講談社(1/6) (ismedia.jp)